どうも!大変ご無沙汰しております!びょいです!
自分の内にある想いをどうにかしてアウトプットしたいという気持ちを抱えたまま、
それをどのような形にしようか考えたり、考えるのが面倒になったり…笑
とりあえず、自分のブログに、記録的に書いていけばいっか♪
と、今朝ふと思い立ったものですから、即行動に移している次第であります。
2時間弱程度と時間を決めて、構成装飾等面倒なことは気にせずに、ぽわわんと、思いつく儘に書いていこうかと思います。
まさに、びょいのぼやきですね。
お付き合いいただけましたら、嬉し恥ずかしでございます。
お仕事の執筆中はさすがにお酒飲まなくなりました(当たり前やちゃんとせぇ)
でも今は、完全プライベートな文章なので、美味しく麦酒をいただいております。
ここに来てくださったみなさまも、まぁまぁどうぞ、お好きなお酒でもジュースでも片手に…
一緒に、のもっか♪
最近のびょいちゃんは~?(来週のサザエさんは~?的な)
最近、びょいちゃんどんなやったかいな。
そうだったそうだった。
ときには、立ち止まって、少し振り返って、
自分の来た道を確認するのもいいかもしれないね。
神様みたいな父でした
2023年も、半分を過ぎたのですよね。
いやぁ…、さすがに早すぎるやろ。
半年前には想像もしていなかったことが、今現実となっていますねぇ…
まずね、大きいのは、
今年の2月初めに、父が天国に旅立ちました。
去年の夏に病気が発覚し、闘病生活を家族一丸となってしておりましたが、
人の命というものは、終わるときには終わるものです。
終える、と言いますか。
父の死を目の当りにして、苦しむ父を見てきて、死の直前まで傍に居た身としては、
自分の人生は、命は、自分で終えるのだなと。
運命に弄ばれるでも何でもない。
結局は、自分が決めているんです。意識的にも、無意識的にも。
まだ、半年しか経っていないのが嘘みたい。
写真を見れば声が聴こえます。
ぽっかり空いた穴を感じはしますが、寂しさよりも、絶対的な愛を注いでくれた父の、
愛を、想いを、笑顔を、優しい記憶を、大切にしたいという想いが強いです。
自分のままで生きたい
父の病気が発覚したのが去年の夏。
そこから導かれるように、想いや志を共にする仲間と出会い、繋がるようになりました。
本当に、今の私がここに在るのは、彼らの存在が大きいです。
自分一人では、たぶん、私は、ここに居られなかったんじゃないかな。
ずっと小説をほぞぼぞと書き溜めていたのですが、
彼らとの出会いで、それを世に出す勇気が出た。
自分の内なる想い、世界を、文章の形でアウトプットできるだけで満足していたつもりだったけれど、
「本当にそれでいいの?」「後悔しないの?」「ありのままの私を出していいんだよ」
そんなふうに教えてくれたのは、父や、仲間たちだったと思う。
ありがとね。
背中を押してくれて。勇気をくれて。
私のままの私を、いいじゃんって、好きだよって言ってくれて、ありがとう。
自分の心の声のままに生きるってさ、簡単なことじゃないけれど、
ほんとうに、とても大切なことだと思う。
毎日、意識してるよ。
びょいちゃん、あんた、ほんとうはどうしたいん?
あんたのまんまで、ええんやで。
表現してないと生きた気せんのん
それまでずっと、「表現=文章」だった私。
なんと、ついに、「歌ってみた」デビューしましたとさ!わー!
まさか自分がこんなにも「歌う」ことに向き合うとは思っていなかった。
音楽は聴いて踊って感じて…小説の世界が広がるエッセンスだったから。
まさか自分が歌うなんて!
それでも、音楽をじっくり愛することには変わりなく、
一曲一曲と、自分の歌声と向き合うこと、とても楽しく感じます。
なかなかテンポよくぽんぽんと歌みたをアップすることはできてないけれど、
毎日歌を歌うことで、表現できる喜びを実感している。
幸せだなぁ。
今は、仲間達にリクエストしてもらって歌うのが楽しい。
この人はこんな音楽を聴くのか、この曲に特別な想いがあるのか、そんなみんなの世界に触れられて嬉しい。
心こめて歌って、喜んでもらえると嬉しい。
新しい音楽や世界観との出会いに可能性が広がって、すごく刺激的で勉強になる。
幸せだなぁ。
これからも、たくさん「歌ってみた」したい!
大好きな曲を、自分なりにたっぷり愛したいんだ♪
ちょっとディープなお話
ここからちょっと深いお話をば…。
びょいのパートナーシップに関する話ですね。
私、ちょっとだけ独特な感性の持ち主らしい。
知らんけど。
シリーズもの、続編が書けんのよ…
昨年末に、パートナーシップ解放について電子書籍を出して、
小説作品を上回る反響に、正直びっくりしてしまった。
読んでもらえてとても嬉しい気持ちと、少しだけ複雑な気持ち。
小説は、自信をもって、自分の子どものように大切な作品です!みんなに読んで欲しい!って言えるんだけど、
パートナーシップ解放シリーズに関しては、
正直、「お金」のために書いた部分もあって、
抹消したいような、もう手放してしまいたいような、そんな気持ちがある。
嘘は何一つ書いていなくても、それでも、なぜなんだろ、強がっていたのかな。
自身の内面を曝け出すことに、本当は、自分自身が傷付いた部分もあったのかもしれない。
夫婦とか、離婚とか、マイノリティについてとか、やっぱり、複雑で繊細な話題だよね。
みんな、悩んでるのかな。興味関心があることは確かなんだね。
私はまだ、問題解決に至ってないから、読者にその導きがしきれない。
いつまでも同じところでぐるぐると漂っている自分が、じれったいんだ。
でも、「こうしたい」「こう生きたい」という願望だけでは、
どうにも出来ない事実があるのは確かで、どうやったって致し方なく、身動きがとれないことも、
やはり、あると思うんだよね。
今は、その事実も含めて、自分をきちんと受け入れてあげられている、愛せているという感覚はある。
焦らず、悲観せず、いい意味で降参して、それでも腐らずに、諦めずに、自分の大事な想いを燃やし続ける。
そんな感じかなぁ。
びょいちゃん、もうすこしはっきり言うてみ
それな。
自分でも書いてて読んでてよーわからんわ。笑
つまりはさ、「どうしたい?」って聞かれれば、
そりゃあもちろん今すぐにでも離婚したいのです。
「離婚」というよりは、「夫婦」という「パートナーシップを解消したい」のです。
それはずーっと言ってる。
でも、生活もある、子どものこともある、だから、なかなか簡単に「離婚」とはいかない。
今の婚姻制度って、結婚している、離婚している、で、社会的な立場、お金、生活、いろんな事柄が大きく変わる。
自分一人なら、そんなことどうだってできる。
でも、じゃあ、小さな子供を守ろうと思ったら?
子どもの心や、安全で安心な環境や、不自由ない、寂しくない暮らしを当たり前にさせてあげるためには?
「離婚」「別居」「疎遠」というのは、子どもの「当たり前」を大きく揺るがしてしまう。
それが、どうしてもできないんだ、あたし。
それも、もしかすると、思い込みかもしれないのだけれど。
だから、逆のことを言うと、
子どもにとっての「安心、安全、当たり前、健康、幸せ」が守られるならば、
子育てのパートナーとして、チームとして、協力していけるのであれば、
夫婦関係を解消したって、別にいいじゃないか、と思うわけなのです。
お互いに気持ちがないのに、無理をして、我慢をして、男女・夫婦の関係を続ける必要はないし、
いくつになったって、男性、女性として、人を愛する気持ちを尊重したっていいじゃない。
そう思うのです。
私は、女性としての幸せを、まだ感じていたい。
利害とか、依存とか、執着とか関係なしに、人を愛していたい。
そんなふうに、愛されたい。
純粋な気持ちで愛し合いたいです。
自分の心の声に嘘つきたくない。
ほんとうに、それだけなんだよなぁ。
ずーっと、同じこと言ってるわ、私。笑
うーんでも、何年か前と比べたら、ずーっと成長できてるかな。
心のままに生きるには、ときに柔軟に、ときに静かに。
情熱を絶やさずに、自分のことを、信じています。
もうこんな時間やん…
びょいのぼやきシリーズは、時間を区切ってコツコツ書いてこ、と決めたのです。
ぼやきはたいがいにせぇ、ということです。
決してだらだらとぼやき続けてはなりません。
もっともっと、話したいことがあるのさ。
私の感じたままを、ここにぽやぽやしていきたい。
ここを訪れた誰かが、このぼやきに触れて、
何か気付きになったり、勇気になったり、なんやかんやになったらいいよね。
なるんかなこれ?
知らんけど。
お付き合いしてくれてありがとう。
また、一緒にのもっかね♪
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